思いっきり郷愁に浸ってきました
同じような天気が続きます。朝6時の気温は14℃、一日中曇って最高気温は20℃と涼しいです。
急に思い立って、「私も元気なうちに」と、昭和20年代から30年代にかけて(誕生から、中学1年生まで)住んでいた旭川市東北部の住宅地まで、都市間高速バスを使って行ってきました。
※ オホーツク紋別行きですが旭川で途中下車
車で行かなかったのは、あちこち路地裏まで歩きたかったからです。予想はしていましたが、もう50年以上も前のことですから、現在住んでいる方の表札はほとんど変わっていました。
昔と同じ名前の表札が下がっていたのは町内約20軒のうちの4軒だけ、当然のことながら世代が交代していました。ビン貯金(マツキをする)の由来の松木さんの家はもうありませんでした。
通帳(つけで買うのが普通)を持って「かりんとう100匁ください・・・」と言ったら、シャベルで新聞紙の袋に計り入れてくれた雑貨屋さんは、世代が変わっても挨拶だけはしてきました。
私の母親がトラックの上に乗って選挙の時にウグイス嬢をしていた元市会議員さんのお宅は同じ名前の表札がかかっていましたが、尋ねるのは遠慮しました。
時々、飼っている馬が逃げて町内を走り回っていた馬喰さんの家のあった所には、3軒のアパートが建っていました。
「聖(せい)ちゃん」と呼んで、当時はお金持ちの子しか持てない、レールの上を走らせる電車模型を持っていた友達(習志野市に引越)の家は、屋根が落ちて廃墟になっていました。
通っていた小学校へ行ってみました。当然のことながらすでに建て替えられ、庭で草取りをしていた公務補さんに声をかけたら、「昔の校舎の模型が玄関内に」というので、見て来ました。
※ 昭和20年代末、当時の市内の小学校では最もモダンで、昭和天皇・皇后が来校されました
こんなことをして、昔を懐かしんでも意味がないのですが、たっぷり郷愁に浸ってきました。
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